テクノっていうの、あの音楽
Chord Memory
kagawa daichi

ビビッ ビビッ ビビッ ビビッ
静かなラウンジの壁が、定期的に、そして繰り返し震えていた。

それはこの地下で鳴っている連続したリズム。巨大なスピーカーから鳴るそのリズムが、遮音板を越えて1Fのラウンジの壁を震わせている。

がらんとした1Fラウンジのエントランスカウンターで、私はひとりエントランスの椅子に座っていた。まさか自分がTFFのエントランスで客を待つことになるとは思わなかったけど、テクノをこうやって壁の響きで感じられるのは新発見だった。この記憶は私のインプラントにも刻まれる。インプラントをつけていても、サリュじゃなくても、TFFのフロアをこうやって感じることもできるんだ。

ビッ ビッ ビッ ビッ
壁の振動が弱くなる。

あ、DJがミキサーで低音を切ってるんだなっていうのがわかった。そうやってしばらく続いた弱い振動から、また振動が大きくなる。ブレイクが入った。注意深く振動を感じていると、まるでフロアの様子が見えてくるみたいだった。それはオンラインの体では感じ得ない体験。・・・・・・でもそれは、今の私にはサリュの体験を通して知っている知識でしかない。私はまだTFFのフロアを、本当の意味でまだ知らない。

私は少し壊れている。
それは4年前、高校3年の17歳のときだった。
ある朝目覚めたとき、昨日のことを思い出せなくなっていた・・・・・・。もちろんそのことは今も思い出せない。その次の日も、また明くる日も。そもそも、思い出せなくなってること自体も思い出せず、ようやく自分が壊れていることを自覚したのは、友達のミッキーからの指摘だった。

お医者さんからは心因性の前向性健忘症と告げられた。
私の記憶は17歳の9月9日を境に、1日ごとリセットされてしまっているそうだ。信じられないけど、それはそうなんだと今でも実感できる。カレンダー見れば、あれからもう4年以上経っていることが日付としては理解できるけど、朝目覚めた瞬間の感覚は、相変わらず4年前の9月9日。8日の夜に話したミッキーとのくだらない世間話も、まさに昨日のことのように思い出すことができる。

そんなことになるまでの私は、まあまあ普通の子だったと思う。
学校の成績は中の上くらい。話せる友達もそこそこできたし、親友と呼べる存在のミッキーもいた。部活は陸上部。実はそれまでずっとインドア派・・・・・・要は陰キャ気味なキャラで生きていた——はっきりいってそれは叔父さんの影響だと思う——そんな自分に嫌気が差して、ミッキーの後押しもあって、高校に入ってからは自分を変える努力をしてきた。おしゃれにも気を遣うようにしてたし、ミッキー以外の友達を作れるよう、なるべく前向きな気持ちで生活しようとしていた。
2年の終わりの頃には同い年の彼氏も出来た。別のクラスの、少し気弱そうな人。部活帰りに引き留められてあっちから告ってくれた。私が壊れてしまったあとは、もう会わなくなってしまったけど。ユウくん・・・・・・元気してるかな。

そういえばユウくんはかなりの音楽好きだった。
一度、ユウくんがどうしてもEDIを試してみたいっていってたから、叔父さんに頼んで用意してもらったことがあった。一緒に使って、どこかのフェスにオンラインで参加してみたけど、音が自分の皮膚とか別の感覚器官で反応するあの感じは、不思議で面白い体験ではあったけど、私にはあまり気持ちのいいものではなかったかな。
EDIを付けてあげた瞬間のユウくんの顔を今も覚えている。なんか呆けたような顔をしていて、どう? って私が訊いても、いいかも・・・・・・ってボソッと呟くだけだった。感動してたのかな? まあ楽しそうで良かったけど。

それが、17歳9月9日までの、私の脳の記憶。

病気になったあとでも、お医者さんからもらった高次脳機能障害者用のインプラントのお陰で、記憶の連続性は日常の生活に支障のないレベルで今はカバーできている。
私の五感の記憶は、インプラントを通して医療用クラウドデーターサーバーの私専用の領域にリアルタイムでアーカイブされていくのだ。

しかもインプラントは、私の脳の伝達信号を感知して、その瞬間、脳が必要としている記憶データをアーカイブから選び出し、私の海馬に適宜送り込んでくる。もちろん健常な脳の伝達信号に比べれば多少のレイテンシーはあるものの、そのお陰で、私の症状を知らない人からは「えーっとー」とか「うーんと」と言ってる時間が長い、少し物覚えの悪い人くらいにしかみえないと思う。

復学したあと、留年、もしかしたら退学することになるかも、なんていう話もあったけど、でもそのインプラントのおかげでなんとか無事卒業することができた。
ただ進学はできなかった。ミッキーと同じ大学に行こうなんて話もそれまではしていたけど、国内の一般大学での受験では、不正を防ぐためインプラントを外したオフラインでの受験が必須で、私のような病状をもった人間では、国内の制度では受験することすらできないらしい。
パパやママも、叔父さんも色々掛け合ってくれたみたいだけど、結局特例は認められなかった。叔父さんはそれからも私のために色々してくれて、私でも進学ができる海外の大学まで紹介してくれたけど、結局自分から断ってしまった。

それが原因だったのか、そのときから私は外に出ることが怖くなってしまった。

21歳になった今でも、インプラントで記憶の連続性は保たれていて、外から見れば普通に生活できていうようにみえているけど、私という『意識』は相変わらずあの日から止まったままだ。
朝起きるとそれまでの記憶が鮮明に、そして走馬灯のように私の海馬を駆け巡る。そして私の意識は、今が4年前の9月9日ではない、正しく進んだ今日の日付であることを自覚する。インプラント記憶というのは、なんというか、思い出したい記憶をものすごい高速の紙芝居で見せられているという感じで、それが自分の記憶であることはすぐに理解できるものの、私の意識にその記憶が定着することは決してない。記憶だけがどんどん先に進んでいって、意識だけがずっと取り残されている。記憶として昨日の私は100%認識できるけど、意識の私と、インプラント記憶の私は、やはり別の人間のような気がしてしまう。

今はその感覚には随分と慣れたけど、まだインプラントを入れてから数ヶ月の私は、進学の失敗のショックから強い精神不安を起こしてしまったのだと思う。
全てがどうでも良くなった。ミッキーとも会いたくなくなった。もちろん・・・・・・ユウくんとも。インプラントを外して生きてみようとも思った。この苦しみから解放されるなら、もう一度9月9日から生き直してもいいって何度も思ったけど、それはどうしてもできなかった。だってそんなことし始めたら、もうそんなの人間じゃなくなっちゃうって思ったから。

そんな私に、ある日、叔父さんは自分の仕事を手伝うアルバイトをしてみないかと誘ってくれた。最初は断ったけど、叔父さんに押されて、結局やることになってしまった。でも叔父さんの研究室は小さいころから良く出入りしていたし、そこでなら他の誰かに会わなくてもいい。なにより小さい頃から良く叔父さんから教わっていた、私の脳の記憶と知識で出来る仕事だったからか、なんとなく安心感を覚えた。

最初のアルバイト代を貰った日、気がつくと、私はなぜか高校時代、ミッキーとよく遊んでいた駅前へ出ていた。今でも信じられないけど、もしかしたら私の意識とは別の『無意識』が自然とそうさせたのかもしれない。誰とも会いたいと思わなかったはずの自分が、自然と街へと足を向けていた。
ふと通りかかった店の前で私は足を止めた。

懐かしい香り・・・・・・。
それは私が壊れる前の記憶。ミッキーから勧められた、高校生には少し高い、ハイブランドの香水の匂いだった。自分には少し過ぎたものだと思ったけど、貯めたお小遣いで意を決して買った。そんな淡い青春の記憶。

そんなことそれまで全然忘れていた。
でもその香水の匂いで一気に脳から記憶が呼び戻された。
自然と涙がでていた。
インプラント記憶でしか保てない今の私。意識は取り残され、私はただの記憶データを参照する身体でしかないと感じていた。でも今のここにいる私は、あの頃から、きちんと連続してここにいるんだって感じられた瞬間だった。

そうして、なんとか私は21歳まで生きてこられた。あれからも叔父さんのアルバイトを続けていった私は、ある日、仕事上で付き合いのあったサイトから、本格的に専任ライターとして働いてみないかと誘われる。そして私は叔父さんの研究室の隣の部屋を借り、晴れて独立することができた私は、そこで主にインプラント業界の情報を中心とした記事に書いている。

全く外に出られなかった頃に比べれば、精神的にも安定したし、社会生活もギリギリだけど送れるようになったけど、それでもやっぱり前を向くことには消極的だった。新しい出会いを恐れて、仕事部屋から出ることはほとんどなかった。

そんな私は今、なぜか秋葉原の外れにあるクラブのラウンジで、エントランス席に座り、地下から響く音圧の振動を楽しんでいる。
冷静に今の自分のことを考えると可笑しくなってくる。音楽は好きではあったけど、クラブミュージックなんて、それこそユウくんに聴かせてもらったくらいでほとんど興味はなかった。それがまさか、直接クラブにまで足を運んで、しかもパーティーのエントランスまでやっている。ものすごい急激な変化。半年前の私には考えられなかったことだ。それもこれもサリュのせい。でもそれも今日で終わり。だってサリュートと私は、今日ひとつになるんだから。

それは今から半年前。ある事件がおきた。
ある朝目覚めて混乱した。昨日のインプラントの記憶データが、昼過ぎ以降はまるごと欠損していた。ものすごく焦った。もしかしたらまた私が壊れてしまったのかも、とも思ったけど、私の記憶領域のステータスにはエラーメッセージはなく『記録無し』とだけ書かれていた。もしかして、ハックされたのかも・・・・・・。そう考えた瞬間、ものすごい不安感が私を襲った。せっかく・・・・・・この生活にも慣れてきたのに・・・・・・。

そして、ふとベット脇の机にメモ書きが置かれていることに気がついた。それは見慣れた私の書き文字でこう書かれていた。

「大丈夫、私。心配しないで。インプラントが記録してないのはちゃんと理解してることだから。明日の朝になるまで正常機能はしないらしいけど、絶対元に戻ってるはずだって」

それはどうやら昨日の私が書いたもののようだった。

「ねえ、それよりも私! テクノっていうの、あの音楽。インプラントじゃ感じられない音。ホントにカッコイイ! あの音を体全体で感じてると、記憶と意識が同じテンポで進んでるって感じられたの。地下で踊っている間、私は100%私だった。TFFっていうイベントだから。必ずもう一度行って。お願い! サリュートだった私を無くさないで」

最後に、日付とどこかの場所が書かれていた。

少し冷静になった私は、昨日の記録されているまでのインプラント記憶を思い出す。そうだった・・・・・・EDIの記事を書くために、秋葉原に出向いたんだった。日本では一部の人間にしか人気のないEDIだけど、最近、国内でハンドメイドのEDIが出回っているという噂は聞いていた。どうやらそれらは、海外のメジャー製品と違って五感へのフィードバックに特徴があるらしいけど、ネットにはほとんど情報がない。
これは是非レポートしてみたいと思い、取り扱いをしているらしい秋葉原のジャンク街へと足を運んだことを思い出した。
でも・・・・・・そこに近づいてから、なぜかそれ以降の記憶データが突然無くなっている。やっぱりインプラントがハッキングされてしまったのかもしれない。

とりあえず、私はTFFと呼ばれる存在を調べた。
ネットのなかには全くそれに関する情報は無い。ライターのツテを使って、EDIの情報に詳しい人物に何人か当たったところ、どうやらそういう名前のクラブパーティーが行われているらしいという情報を聞いたが、いつどこで開かれているかは誰も知らなかった。
それは多分、このメモに書かれた日付と場所なんだと思う。日付は2週間後、場所は秋葉原の外れにある老舗のクラブだった。そのクラブのサイトにもアクセスしてみたが、TFFに関するアナウンスは何もされていなかった。開催日と思われるその日は「Close」と書かれている。絶対怪しい。

そして、テクノも調べてみた。
それはダンスミュージックのジャンルだった。テクノと一口に言ってもかなり派生したジャンルが多く、なにがテクノの特徴なのかはすぐには理解できなかった。いわゆる電子音で構成されたダンスビートの曲のことを指しているようだったが、昔ユウくんが聞いていたダンスミュージックと違い、かなりダークなイメージというか、重い曲調のものが多い気がする。ちょっと実験的な音楽なのかもしれない。
そう思いながら、ストリーミングサイトで何曲もザッピングしているが、なんとなくどれも同じ曲のようにも思えてしまう。好きな人には違いがあるんだろうけど、ちょっと私には理解できないかも。そんなことを思いながら、ふとある曲でザッピングの手を止めた。

・・・・・・この曲、知ってる気がする。
それは単純なリズム音から始まった。いつまで続くのかと思うくらい、長いリズム音の前奏から、段々と電子音が被ってくる。気がつけばその音色がいくつも重なり合い、地味だと思っていた曲が、途端にカラフルに彩られていく。
そして途中から繰り返されるボイスパーカッションに耳を傾けていると、自分の鼓動が高鳴っていることに気がついた。いつのまにか聴き入ってしまっていた。
多分、私はこの曲を聴いて、どこかで踊っていた。なぜかそんな気がした。
それは、香水の香りで脳の記憶が呼び起こされた感覚にも似ていた。私の体中の五感全部が記憶している感情、情動かもしれない。

気がつけば何度も何度もその曲をリピートしていた。曲名をみると『Unknown2』と書かれていた。アップロードしたのはMMと書かれたユーザー。それ以上のことはなにもわからなかった。
しかし気がつけば何回も、何回も、同じ曲リピートしていた。
私の体が、無意識が、この曲を求めていた。

そして2週間後。私は秋葉原のあのクラブにやってきていた。恐らく今日ここで、TFFが行われているはず。しかしあたりはウソのように静まりかえっていて、ここでパーティーが行われてるとは到底思えなかった。

closeと書かれた店の扉に手をかける。
カギはかかっていなかった。ゆっくりと中に入ると1Fはラウンジになっていて、エントランスと書かれた場所に1人の女性が座っていた。なかは静まりかえっており、このラウンジには彼女しかいないことはすぐにわかった。女性は不思議そうに私の顔を見つめている。と、次の瞬間、その女性は大きな声を出して近づいてきた。

「ウソ! サリュ? マジで来られたんだね! よかったー」

私のことをサリュと呼ぶその女性は、突然、情熱的なハグをしてきた。急なことに驚いた私の体は固まってしまい、されるがままに彼女のハグを受けいれてしまっていた。

「あ。ごめん。覚えて・・・・・・ないんだよね。あはは。ごめんね。つい嬉しくって」

女性は急に冷静になって私から離れると、イラズラっぽい笑みをしながら私に言った。
合っていた。多分ここがTFFで間違いない。そしてこの女性はどうやら、私に何が起きているか、全てを知ってるようだった。

「すみません。あなたの言うとおり、私全く覚えていないんです。ここのことも、TFFとか、なんでサリュート・・・・・・サリュって私が呼ばれているのかも。教えてください! お願いです! ここは何なんですか? テクノって何なの?!」

気がつけば、私は彼女の肩を掴んで、激しくまくし立てていた。

「ちょ、ちょっと待って。大丈夫、ちゃんと教えるから。落ち着いて!」

× × ×

ユイと名乗るその女性は、このTFFのスタッフのひとりだという。
彼女は事の経緯を説明してくれた。そしてまず私に謝ってきた。私を巻き込んでしまったのだと。
あの日、TFF、この限りなくクローズドなイベントの仲間を街で見つけるため、インプラントをオフラインにする強力な妨害電波機器の実験をジャンク街で行っていたらしい。そこに私が現れてうっかりその妨害電波を受けてしまったということだった。
健常者であれば、突然インプラントがオフラインになったところで、壊れてしまったのかな? 程度で済む話なのだけど、私は酷く狼狽してしまっていたらしい。それはそうだ。東京に住んでる限りオフラインになることなんてほぼなく、ましてや街中で突然長時間オフラインになってしまったら、自分の連続性が失われてしまうようで、今の私もそれを想像したらやっぱり怖い。
私の姿に驚いたユイさんたちTFFのメンバーは、急いで私を連れてその場から離れると、落ち着かせるためにTFFが行われている、このクラブに連れてきたということだった。

それから私の病状を聞いたユイさんたちは、ものすごく反省したらしい。
もちろんちょっとしたイタズラのつもりだったと思うが——というかそもそも違法行為だけど——私に限らず、医療用としてインプラントを使用している人もいるはずで、下手をすれば命を落とす可能性もあると、私から長々説教を受けたらしい。

「サリュにそう言われて、もうあのやりかたは二度とやらないことにしたよ。誰かを傷つけたいわけじゃなかったのに・・・・・・本当にごめんなさい」

改めて私に謝るユイさんのその姿は、まるで母親に怒られてしまった小さい子供のようにもみえた。悪気があってやったことでは本当にないんだろうけど・・・・・・それにしてもなんでそんなことを・・・・・・。

ユイさんは続けて説明してくれた。
TFFで流されるテクノはインプラントを付けているオンライン状態では聞こえない細工をスピーカーやプレイヤーなどに施しているそうだ。TFFの主催であるMM——あの曲をアップロードしていた人なのかも——がいうには、それは『プログラミングされた心の解放で、それを作ったプログラマーへの反抗』なんだそうだ。
それで理解できた。今このクラブの地下ではTFFの真っ最中のはずなのに、なんでこんなに静まりかえっているのかを。私がインプラントを付けているから、オンラインだから聴覚には聞こえてこないんだ。

TFFのフロアでは、インプラントを外す必要がある。誰かにプログラムされたオンラインの身体では心の解放を得られないということなのかもしれない。
心を解放する音楽、テクノ、か。

インプラント記憶がなければ自分を保てない私には、自ら進んでオフラインになるなんて信じられないことだけど・・・・・・正直興味はある。いや、私はここに、それを体感しにやってきたのだと思う。

だってそれは、私の体、そして無意識が反応しているから。もうここに来てから、ずっとドキドキしっぱなしだった。興奮しているんだ。ストリーミングサイトであの曲。あのテクノを聴いた時みたいに、私の無意識、そうサリュートが、ここにまた来られたことを喜んでいるんだ。そんな私の顔をまじまじと見ながらユイさんが笑った。

「どうして笑うんですか?」
「あ、ごめん。だって同じ顔してるんだもん、サリュ。前のイベントのとき、アタシが同じ説明してたときから、ずっと地下のフロアのことを気にしてたよ。行ってみたくてしょうがないような、興味津々の子供みたいな顔」

そういってユイさんはまた笑った。いやいやあなたもだいぶ子供っぽいと思うけど。
そうか・・・・・・あのときの私も同じ気持ちだったんだね。

そしてユイさんは私の目を探るように、改めて訊いてきた。

「でさ・・・・・・ここにまた来たってことは・・・・・・もちろん踊りにきたんだよね? サリュ」

少し思案して、私は答えた。

「もちろん」

ユイさんに連れられ、地下のフロアへと降りていった。
一瞬躊躇したけど、私は自分のインプラントを抜き取った。

× × ×

時計をみると、そろそろ今日のパーティーの前半のDJが終わってしまう時間だった。
でもさっきからエントランスにやってくるのは、見知った常連ばかり。彼らに簡単な挨拶をしながら、私はエントランス作業を進めていた。

「あー! ヒデさん。うん、今日は受付なんだ。あとでフロアにもいくよ」
「あれ? 今日は来たんだね。前回みなかったから。え? いたの? ウソだー」

自分でもなんとなくわかっている。
私は意識的にサリュートみたいに振る舞っている。

インプラント記憶に残っているサリュートの振る舞いは、普段の自分からするとかなりハイテンションな子の印象で——フロアで踊ったあとだし当たり前といえば当たり前か——普段の私とは真逆の性格である。
そんなサリュに近づけるように、インプラントをつけているとき、TFFではなるべくサリュのように振る舞っている。
半年前まで新しい出会いを恐れていた私は、今ではサリュに後押しされるように、全く反対のキャラを演じている。でも・・・・・・別に嫌じゃなかった。むしろサリュになれることで、自分自身を解放しているようにも思える。もしかしたらこれがMMのいう『心の解放』ってやつなのかも。

TFFにやってくるメンバーは主催メンバーと常連、合わせておよそ50人くらい。ほぼ完全なクローズドパーティーだ。パーティーをネットで配信することもなく、宣伝もしない。唯一、口コミや紹介で人を集めているのが主な活動。

TFFの音に惹かれる人たちを純粋に集めていきたいというMMの方針らしいけど、それで新規を集めるためにやったことが街での妨害電波というのは、ちょっと過激すぎると思うけど。もちろん私の一件から、妨害電波作戦は没になってしまい、新規客を集める作戦は暗礁に乗り上げてしまっていた。

実は少し前から、私は密かに考えていたことがあった。それは実験でもあり、私にとってのちょっとしたゲームでもある。そのアイディアをユイさんたちに話したところ、とても面白がってくれて、協力してくれることになった。
もしこれが成功したら、TFFの新規客開拓と、そして私の真の解放——なんか仰々しいけど——が、同時に行われることになるかもしれない。私にとってもTFFにとっても、そしてサリュにとっても、今日は非常に意味のある日になるはず。
それを私は、今か今かと待ちわびている。


そして、それは突然訪れた。
エントランスの扉が開く。そこに立っていたのは、フードを被った見慣れない男の子。
彼はキョロキョロとラウンジを見回し、不思議そうにラウンジを見回していた。
間違いない。新規客だ。私はちょっとドキドキしながら、少し上ずった声で話しかけた。

「ねえ! 中に入って、扉閉めてもらっていい?」
「ご、ごめんなさい」

彼は慌てて扉を閉めた。そしてそのままドアの前で所在なさげに立っている。

「あれ? あんまりみない人かな。どうやってきたの?」

続けて私が話しかけると、彼は慌ててフードを脱ぎ、パーカーのポケットを手を入れ、なにかを漁り始めた。フードから現れた彼の顔は、色白で少し幼くみえる。私より少し年下の、18、19歳くらいだろうか。

「こ、これ。アキバのラジオセンターで買ったら、ここにTT、なんかのロゴが書いてるのに気がついて。音が聞こえてます。右だけ」

・・・・・・来た! 心でガッツポーズをとる私。

安心して。大丈夫、全部わかってるから。
キミは今、体の半分がオフラインになっているはず。

今日エントランスに私が座っていた理由、それは彼をきちんとTFF地下のフロアまでエスコートすること。ここからがとても重要。フロアへのファーストコンタクトは、ちゃんと考えている。

「お! そうなんだ。じゃあここくるの初めてだよね? 下まで案内するよ。きてきて」

そう言って、地下のフロアへと続く階段に、ゆっくりと彼を招き入れる。
フロアは少なめの照明が焚かれていて、既に常連たちがスピーカーから鳴り響くテクノに酔いしれていた。彼も、半身で感じているその音に既に心が奪われているようにみえる。

でも私にはまだなにも聞こえていない。
いつもだったらインプラントを外し、ここからはサリュートの出番。インプラント記憶に残らない、無意識の私がTFFの音、テクノに酔いしれる。

でも今日は違う。
とりあえず、まず彼の体を解放してあげないと。私はオンラインであるはずの、彼の左耳に向けて話しかけた。

「あ。ごめーん! 半々のヤツ、付けたままだったよね。外してっていうの忘れてた」

そして彼の首元に手を回し、スリットから彼のEDIを抜き取る。

瞬間彼の目が見開いた。
今、彼は体全体、そして自分の耳でTFFの音を感じているんだろう。嬉しい。普通のEDIでは飽き足らず、マニアックな刺激を求めているようなハードなユーザーだったら、きっとTFFのテクノには反応してくれるはずだと信じていたから。

そして、私も。今日ここで、私はサリュートとひとつになる。

私は自分のインプラントを抜いた。
オフラインになり、体中に響きだすテクノ。

ここまではサリュート。

そして・・・・・・私は彼から抜き取った、EDIを自分に差し込んだ。
左半身だけがオンラインとなるが、右半身はオフライン。右半身はTFFの音を感じとっている。
私は記憶データ領域のステータスを確認する。

『記録中』

そう。半身だけどようやく私はTFFの音を、テクノを手に入れることができた。
今ここにいる私は半分がサリュート、そしてもう半分は私。サリュとひとつになることで、私は本当のテクノを今初めて感じることができている。

サリュはきっといつものように体全体で感じたいと思っているはずだ。でも・・・・・・たまにはいいでしょ? サリュ。私にも、テクノを感じさせてよ。

サリュとともにTFFのフロアでテクノを感じているこの瞬間、17歳からデータの連続でしかない私が、そのデータのなかから生まれたサリュともに同じリズムを感じている。

香水の香りで過去の自分と繋がることができた。
そして、テクノで壊れた私たちは、ようやく今繋がることができたんだ。

DJが曲をミックスし始めた。
私たちも同じ。今は私の体のクロスフェーダーは真ん中を指しているんじゃないかな。
サリュと私。同じテンポで同じリズムで、今生きている。

そんな感慨にふけっているなか、ハッとした。ミックスされた曲・・・・・・それは、この前アップされたばかりのMMの3番の曲だった。この曲、めちゃくちゃ好き。
気がつけば、私たちは彼を置いてフロアの中心へと進んでいた。なにかを求めるように、少しでもなにかに近づきたくて、常連をかき分けフロアの中心へと向かっていく。
そんな私たちをみて、ユイさんが近づいてきた。

「サリュ! あれ、エントランスは? もしかして成功した!?」

私たちは、大音響で響く3番の曲に合わせ踊りながら、ユイさんに頷いた。

「やったね! 大成功じゃん。で、今はサリュ? それとも・・・・・・」

ユイさんの耳元でスピーカーの音に負けないよう大声で叫んだ。

「どっちも!!」

ユイさんは笑顔で私たちに抱きついてきた。

ひとしきり踊ったあと、彼をそのままにしてしまったことを思い出した。
しまった・・・・・・すっかり自分たちだけで楽しんでしまった。フロアの中心から彼の元へと急いで戻る。
彼は目をつむってテクノに身を任せていた。よかった、楽しんでくれてるみたい。そんな彼の姿をみて、さっきの興奮が蘇ってきてしまい、思わず話しかけてしまっていた。

「今の、この前刷ってた3番のレコードだよ! ここで聴けて、めっちゃ嬉しい!」

そんな私たちの声に彼が気づく。そして彼も興奮気味に私たちに質問してきた。

ここはどういう場所なのか?
なんでこんなことをしてるのか?。
さっきのEDIはなんなのか?
誰が作ったのか?

フロアのなかで、細かい質問をしてきて驚いた。
彼も混乱しているのかも。

でも・・・・・・まあまあ。そんなのいいじゃん。今はこの音を楽しもう。
だから彼の質問は適当にはぐらかせてもらった。あとでいくらでも説明してあげるから。

「ねえ! これってなんてジャンル!? かなり渋い。今まであんまで聴いたことないかも」

でも、そんな彼の最後の質問に、私たちはちゃんと答えてあげた。

「これ? なんか、テクノっていうらしいよ。アタシも最近ハマった。良くない!?」
「・・・・・・いいかも」

彼はそう小さく呟いて、また踊り始めた。

そんな彼をみて、ふとユウくんのことを思い出した。
まだユウくんは音楽を聴いてるかな。
もしかしたら、彼もTFFを、テクノを気に入ってくれるかもしれない。

DJがまたミックスを始めた。美しい電子音から一転、重いベース音が鳴り響く。それが右耳に届いた瞬間、私たちの意識はまたフロアへと引き戻された。

そう。まだまだパーティーは終わらない。
私とサリュの時間も。


つづく

今ここにいる私は半分がサリュート、 そしてもう半分は私。サリュとひとつになることで、 私は本当のテクノを今初めて感じることができている。

今ここにいる私は半分がサリュート、 そしてもう半分は私。サリュとひとつになることで、 私は本当のテクノを今初めて感じることができている。

今ここにいる私は半分が サリュート、そしてもう半分は私。 サリュとひとつになることで、 私は本当のテクノを今初めて 感じることができている。

Diverse System × 秋葉原重工
コンピレーションアルバム
AD:TECHNO 5
DVSP-0243
全10曲収録
小説『Chord Memory』掲載
イベント: 1,500YEN / 通常: 1,650YEN
  1. Salute HIROSHI WATANABE
  2. Geometric clues Shinji Hosoe
  3. vase in the dark wat
  4. corrupted Atomic
  5. Proust Q'HEY
  6. SMT Kouki Izumi
  7. before mind me Hiroyuki Arakawa
  8. Ruthless KEN ISHII
  9. Berenice Homma Honganji
  10. again and again Tomohiro Nakamura
  • Designer clocknote.
  • Illustrator reoenl.
  • Mastering Hedonist
  • Original Story 有馬トモユキ
  • Booklet Story kagawa daichi
  • Web Site toshiki_izumi
  • Director Takayuki Kamiya
  • Producer YsK439
  • Special Thanks MOGRA, 秋葉原重工, ginrei
頒布情報
M3 2020 秋
2020年10月25日(日) 10:30~15:30
東京流通センター 第二展示場2F ス-01